
池田町の陸郷(りくごう)にある桜仙峡(おうせんきょう)に行ってきました。
参加者は7名。
例年なら山桜の見ごろとなるのは4月中旬から下旬。
4月16日は絶好の日と見込んで計画が立てられました。
ところが、冬の後半から春にかけて高めの気温が続きました。
その結果、つぼみの成長が一気に進み、気づいたら満開という印象になりました。
桜前線の進みも早く、一気に咲いて一気に北上していきました。
夢農場


夢農場は、春の山桜、初夏のラベンダーで有名です。
水野建設(株) の観光事業部が管理・運営を行っています。
池田町陸郷地区は、養蚕で栄えていましたが、養蚕業の衰退と共に人口が減少し、桑畑も荒れ地となってしまいました。
養蚕業から建設業へ転業した水野建設株式会社の故・水野龍二が荒れ果ててしまった故郷を蘇らせようと、平成元年から自ら重機を使い、荒れ地を耕し、ラベンダーを植栽し夢農場を始めたのです。
そして、夢農場周辺は小鳥が実をついばんで増えた自生の山桜が多いことに気づき、自分も小鳥と一緒に桜を植えようと毎年100~200本の桜を30年以上植栽し続けたのです。
建設会社の会長が2021年に急逝された後、「花咲かじいさんの遺志を受け継ぎたい」と社長ご夫婦や社員が、クラウドファンディングも行って整備・運営を続けられています。
桜仙峡 (おうせんきょう)


小鳥がついばみ広げたといわれる陸郷の山桜。”小鳥が咲かせた桜の里” とも呼ばれています。
奈良の吉野山に並ぶ美しさとして、”西の吉野、東の陸郷” と呼ばれています。
陸郷とは、池田町の東側に位置する山間地帯のことです。
夢農場を発着点として散策コースが整備されています。
高台からは北アルプスが一望できます。
桜仙峡は山腹一面に山桜が広がる人気の観光スポットです。
中国の桃花源記(とうかげんのき)という物語に桃源郷(とうげんきょう)という桃の花が咲き誇る美しい理想郷が出てきます。これにちなんで、山桜の見事なこの地を桜仙峡と名付けたのです。
登波離橋 (とはりばし)

赤い欄干の橋です。
元々は「十針(とはり)」という字が使われていました。
鎌倉時代中期、この橋の近くの白駒城の城主である樋口行時(ひぐちゆきとき)は2人の女性と縁を結んでいました。「ふじ」を正室に、「きよ」を側室に迎えていましたが、きよはふじを日頃から憎んでおり、ふじの暗殺を目論(もくろ)みます。花見の企画の際、ふじを橋に誘い、2人で桜を見学しているおりに、ふじを橋から突き落とそうと企てたのです。
しかし、ふじはきよの計画に気づき、ふじは前もって2人の袖を十針ほど縫っておいたのです。
ふじが突き落とされたとき、袖のつながったまま2人とも谷底に転落し、命を落としてしまいます。

この事件の後、城主は出家して2人の冥福を祈りました。
谷には一身二頭の蛇が現れたり、一本の根から二本の幹を持つ松が生えたという不思議な言い伝えも残されています。
桜仙峡、登波離橋を回った後、スタート地点の夢農場に戻ってきました。
そこから、同じく池田町にある「ままこ落としの土柱」に寄りました。
ままこ落としの土柱


砂岩の山肌が風化し、その姿を現したものです。
鋭くとがった土柱が目を引きます。
ここには崩れやすい切り立った絶壁があります。

ここには悲しい伝説が残されています。
昔、田ノ入城という山城に、太郎丸という母のいない若君がいました。
太郎丸が5歳のとき、おりくという2番目の母君がきました。
翌年、おりくは次郎丸という実の男の子を産みました。
やがて、おりくは次郎丸をここの城主にしたいと考え、太郎丸が邪魔になりました。
明け方、おりくは太郎丸を裏の崖に呼び出し、太郎丸の背中を押して崖下に突き落として殺してしまいました。
